今村夏子『星の子』
今村夏子さんの『星の子』を読み終えた。
電車の待ち時間にふらっと寄った駅中の本屋さんで、表紙の芦田愛菜ちゃんにつられて買ったもの。
愛菜ちゃん主演で映画化されたものの原作らしい。
裏表紙のあらすじに「あやしい宗教」だとか「家族のかたち」と面白そうな言葉が並んでいた。
勢いよくホームで読み始めると、主人公の中学三年生のちひろの言葉で紡がれる彼女の物語に寒さを忘れた。
ちひろ曰く、幼いころ病弱体質であった自分が原因で両親が変な宗教団体にはまってしまい、家族のかたちが変容してしまったという。
その宗教と彼女の両親は明らかにヤバイやつ。
ちひろはそれをおかしいと認識しつつも、普通になってしまっている。
物語はそのちひろをヤバイ信仰から守ろうとする親戚たち、呆れて出ていった姉、同級生、ちひろが恋した南先生という人たちの関わりの中で変化していくちひろの心を描く。
表紙の影響で、すべてのシーンが芦田愛菜ちゃんの顔で情景が浮かんでしまっていて、
ちひろが恋した南先生は誰が演じたんだろうか、とかとにかく映画版のキャストが気になりすぎて確認したい欲に襲われた。
でも見てしまったらつまらないから、必死に我慢して、余計に気になってしまったりなどした。
この小説を読んで「信じる」という行為について考えさせらてた。
(感想がありきたり・・・。)
英語でも「believe」って割と最初の方に習う基礎単語だけど、めったに使わなくないですか?といういか、使わない。
この物語では「あやしい宗教」が分かりやすく「信じる」の対象だったけど、ちひろがそんな両親を否定しないのも「信じる」であったり、友達に打ち明けるのも「信じる」っていうことであったり、なんかとても身近なものに感じた。
文字で書くと重いけど、自然と行っていることなのだろうか。
家庭環境がミュージカル『マンマ・ミーア』さながら、いやそれよりかなり酷い私は他人を「信じる」ことと「期待」することを中二くらいでやめてしまった。
だから純粋に「家族」と「信じる」というテーマがとても新鮮に感じられた。(爆風)
でもどちらの行為も自分本位なんだよね。
他人を信じるとか、期待するとか。
相手が実際どう思っているかなんて関係なくて、「私はこう思う」だから「してあげる」という風に変形していき「裏切られた」となる。
だから、信じないほうが楽だし傷つかない。
これは本当にそうなんだけど、でもこれじゃダメなんだよなあ。(涙)
人間関係維持の努力を放置して逃げてるだけなんだよなああ。つらみ。
分かってはいるんだけどねえ。
もっと純粋に何かを信じたりできる人間になりたいなと思った。
もうその体力が残ってる気もしないんだけど、私の頭の中で「信じる」ということとまっすぐ向き合う芦田愛菜ちゃん(幻想)を見てとても刺激を受けた。
手間と時間を掛けてしっかりと向き合う姿勢。
ちひろの一人称語りで、この物語に描かれているのは過去で、客観的に自分の過去を見つめる語り口調がかなりの時間の経過を感じさせるから余計にその後どうなったのか気になる。
ちひろにはどんな未来が待っていたんだろうか。
なんかすっかり映画を観た気でいるけど、全然観てないから
はやく映画館に行きたい。
なんかもう東京はテアトル新宿でしか上映していないんだって。
急がないと、余計に観た気になっちゃう。
あ、このブログ書いてる間に我慢できなくてキャスト確認したら
イケメン南先生は岡田将生だった!納得!
怪しい宗教を広めてる女性が黒木華さん(笑)
素晴らしい。いや絶対面白い。
というか昨年シアターコクーンで岡田将生ハムレット×黒木華オフィーリアを観たからなんか嬉しい。
楽しみだなあ。